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父の命日(三回忌)

Written on 2021年7月1日   By   in 未分類

2年前の今日未明にが他界した。

脳梗塞を起こして10月31日に入院して、40日余り。
当時はまだ出社してたから、毎日帰宅したら直ぐに車飛ばして父の入院する病院へ行くのが日課になった。

リハビリ病院を経て2月下旬にやっと退院。

脳血管性認知症を発症してしまったので、要介護5の在宅介護。
母も要支援2だったので、仕事をしながら2人の介護はとても無理で、家庭崩壊の危機もあった。

なので、苦渋の選択で、約1ヶ月後には特養に入居してもらうこと。
特養へも週に2日は会いに行っていて、父は僕が来るのをとても楽しみにしてくれていた。

さらに月に1回は帰宅して我が家で一緒に過ごすようにして。
最期に帰宅したとき、お友達の家へお茶しに連れて行ったんだけど、そのときに父が言った言葉が忘れられない。
『俺は本当に幸せだ』

その後も肺炎で入退院を繰り返して、いつも奇跡の復活を果たしていた父だけど、僕は医師から肺が壊死し始めてると聞いていたので、覚悟は決めていた。

最期の入院は、他界する2週間くらい前だった。
最初は、いつもの調子で、
『頑張って元気になるんだよ!』
と言うと、
『俺は大丈夫だ。心配するな』
と優しく応えてくれてた。

あるとき、僕が色々悩んでいることを察したのか、
『お前は正しいのだから、今のままで良い』
『今のまま、正しく生きていなさい』
と言ってくれたのを思い出すと、心が熱くなる。

そして、医師から「持って1週間」と告げられて、数日後。
6月28日、会った瞬間に死期が迫っている事を感じた。
酸素マスクも不要で、意識もあって会話も出来たんだけど、本人も自覚してたような気がする。

6月29日、容体が急変。
酸素吸入はMAX状態だったが、かろうじて意識はあって、話しかけると反応はあった。
でも、あと3日は持たないと思いますと看護師さん。

6月30日、意識はなく、それでも必死で呼吸をしているようだった。
でも、魂はもう肉体を離れていたような気がする。なんかそう思えた。

急いで母を連れて来て、最期の対面をさせたあと母だけは家に送り届けて、僕だけまた病院へ戻った。
母も高齢で介護状態だったから、夜中まで付き添わせるわけには行かない。

そして7月1日未明、僕がひとり看取る中、激しかった呼吸も静かに止まり、永遠に旅立った。

 

父の他界後、今度は母が入退院を繰り返し、要介護3になってしまったけど、強く元気な母。

時代が味方してくれて、働き方改革のおかげで在宅勤務になったのが幸い。
幼馴染や友人達に助けられて、何とか仕事と介護を両立させる事が出来ている。

 

母は今でも言う。
『あたしには関係ない』とキレて、アタオカ女どころか、一家の誰一人見舞いすら来なかったアタオカ一家は、一生許さないと。
こんな状況だったので、当たり前だ。

もう絶縁してるし、無間道に堕ちた下等動物なんて、どうでも良いけど。

そして、父の遺言さらに母も「呼ばないでくれ」と言っていたのに、アタオカ一家を呼びに行くなんて、失礼極まりないことをした従姉たちに対しても。

『アタシが死んだときは、○○たちにも連絡しないで』
この従姉たちにも連絡しないでくれと、今度は母の遺言。

どうせ罪の自覚がないから、また一方的にキレるんだろうな。
┐(´∀`)┌

知らんけど(関西人風味)www

僕は、未来永劫、下等動物とは関わらないので。